原爆の威力ではなく,ヒロシマ(あるいは長崎)の悲惨さを通してヒロシマの持つ意味を探る大江がリフトン,ヴォルフ,ダイモン,セーガン等々を訪ね,語る.
「廃墟の向う側の言葉」とそれを表現する生存者たちの文学を著者が注目し続けることに対する著者の根元的な動機は以下のような文言に表れる.
「広島とアウシュビッツのさまざまなイメージを人間の意識から払いのけようと,世界の非常に多くの人々が試みているが,これは無益だというだけではない.そのような企てをするということは,われわれからわれわれ自身の歴史を奪い取り,われわれが現にそうであるところのものを奪い取ることである.…われわれは,広島とアウシュビッツを必要としているのだ.…それは,それらがわれわれにもたらす戦慄にもかかわらず,その戦慄がもたらさざるをえない飛躍へと想像力を深化させ,解き放つために,である.」(6章)
想定と写真のおかげで入りやすいが,しかし読みにくい文章ではある.
1992
1994
1994
1995/06
1995/8
堀場 清子
朝日選書534 ISBN4-02-259634-1 P1200
GHQの統制下で原爆に関する報道あるいは言説が制限されていたことは知られているが,それがどんな具合であったかは漠としている.著者はそれを米国内で発見した資料をもとに探っている.
日本国で,普通私たちが,「私たち日本人は」,とあたかも同胞であるかのように言う誰かに起こった出来事をとにもかくにも,このように,取扱い,さらに事実上長い間捨て置いたのだと思い知らされる.捨て置いたどころか,むしろGHQが期待しないほどによく排除していた.
アメリカとの関係における原爆は,今でもタブーなのかもしれない.それが,あてどの無い,世界,へ向かっての核兵器反対を唱える傾向に繋がっているのかもしれない.
1995/08
1995/09
バーンスタインの序文が本稿のように長いが,この論争に関するまとめとしては格好のものになっている.ノビーレはアメリカ人のジャーナリスト.
1995/10
著者はTBS記者.1993年に始まったスミソニアンの展示を巡る論争を通して,アメリカ人にとっての原爆がどのように取り扱われているかを探る.
あまり分析的とはいえないが,取材力を駆使して多くの印象的な発言に出会っている.ただ,著者は多くのことを,今日はじめて知ったようによく書いているが,それは著者があまりにも知らないから,もっと勉強してくださいと言いたくもなった.著者が知らないことが即ち多くの日本人が知らないことではない.ここから初めてしまうこと(著者が知らないということ)が,こうした論争を深めない一因ではないかとさえ見える.つまり,取材陣という人がいちいち詳しい背景を知らぬために,こうした状況に至るまでの多くの営みを軽視とは言わぬにせよ,事実上意味のないものとしてそこにあらしめることになる.いつでも,今はじめて知ったことのように取り上げるのは,知らせぬよりは知らせた方がいいには違いないのだろうが,もう少し詳しい人が今の状況を見れば,運動なり発言なりについてもう少し複雑で詳びらかな解説ができるだろうにと思わずにはいられない.これは戦争関係の出来事について多く当てはまる.
1995
著者は朝日新聞の記者. 核兵器モノというよりも,むしろ,国際政治として分類されるようなものかもしれない.冷戦の間,アメリカが核兵器をどう取り扱っていたかの分析から,ではどうやったら解体されるのかまでを考えている.短いから多少あちこちはしょってあって,その分逆に読みにくい感じもする.
1995
Hiroshima - Why America dropped the atomic bomb Ronald Takaki, orig:
Little, Bronwn and Compnay, Boston
原爆投下の理由の一つとして,人種差別的視点があげられている.こうした理由は,はっきりそうだという証拠が出るものではないにせよ,北米で暮らす人ならではの証言もあげられ,はやりその視点は捨てきれぬものだろうと思われる.
この本の英語版のペーパーバックはあちこちの本屋にあった(私の狭い観察だけど).
1995/12
Hiroshima in America:A Half Century of Denial Robert Jay Lifton, Greg Mitchell
ヒロシマへの原爆投下直後からの,アメリカにおける反応を克明に追っている.起こったことの大きさに対する驚きと,すぐ直後に表れた,道徳的に是認されるべきではないのでは,といった反応が,原爆投下によって百万人の命が救われたのだといった政府の反撃によって,人々が次第に,これは仕方のなかったことなのではないかといった考えに変わっていく.リフトンは,原爆投下直後のヒロシマの人々の心理を追った研究で知られる人.心理学者.
日本語版と英語版の最大の違いは,巻末のインデックス.英語版のインデックスは,あたかもヒロシマ原爆投下関係関係者一覧のようによくできているのだが,日本版にはない.
惜しい.実に惜しい.
1996/02
「アメリカ人の考え方を理解しようとするのに,日本人の理屈と感情をもってするのは不可能であるように思えた」という考えを基に,原爆についてのアメリカ人の反応をアメリカで取材している. 「原爆神話の五十年−すれ違う日本とアメリカ−/斉藤道雄/中公新書1271」と内容的には重なるものが多い.しかし一つだけ違うとすれば,この本は,上記のように,日本人として知らなかったことが多いことを隠そうとせずに,時に恥じ入りながら記述するという点で好感が持てる.
1996/07
1997/07
1997/10
放射能がどういう具合に人体に影響していたか,いるか,と共にABCCの,検査はするが治療はしないという政策を追っている. 予想以上に,細かい,詳しい本.どうやら博士論文だったらしく,参考資料は膨大.日本の背景,とりわけ被爆直後に日本で起きた問題もよく追っていてびっくり.
ひょっとしたら日本人はあんまし読みたくない本かも...(今読んでますが)
1997/11
核兵器のコストや費用対効果を分析している.
1998/03
作ったはいいけど,維持するのも大変,無くすのも面倒な代物としての核兵器.資金難どころか国としての統制さえ危ぶまれるロシアがそれらをどう取り扱っているのか.時折り漏れ聞いた,ウラン燃料棒が盗難にあうといった信じられない話も収録されている.
1998/9
著者ジョナサン・シェルは「The Fate of the Earth」で知られる,核廃絶問題に詳しい人.
モトネタは,1998年2月の雑誌『The Nation』特集号.核兵器廃絶に向かう動きがよく網羅されている.
ジョナサン・シェルのインタビューで,リー・バトラーやロバート・マクナマラというアメリカの高級軍人,ゴルバチョフ,シュミットといった著名な政治家が何を考え核廃絶への賛意を表明しているのかが示されている.また,軍縮のやり方についての今日的な方法(水平軍縮)についての一章が設けられているのだが,この一種の技法の解説も一般向けとしてよく出来ているのだが,それではなく,この考えを言う人々と話し合っていくと,この考えの寄って来るところが結局,従来的な「核抑止」にすぎないのではないかと落ち着いて行く様が興味深い.なかなかどうして,実際核兵器を手放す(つまりアメリカをはじめとする保有国)というのは難しいのだとあらためて考えさせられる.
しかし,それにもかかわらず核廃絶はもう既に可能的なスケジュールとしてあるのではないか?と思わせるところは大である.ただし,その代わりに防衛構想の時代に入るのだとしても.
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