1971
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偏見と差別:広島そして被爆朝鮮人
Hiraoka, Takashi
1966-72の間に被爆者の差別が扱われた記事をまとめたもの.
*アメリカで英語でかかれたものの中から見つけたため,著者名の漢字がわからないのだが,平岡敬広島市長か?
1972
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被爆二世:その語られなかった日々と明日
広島記者団被爆二世刊行委員会編
東京時事通信社
1975/7
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広島原爆とアメリカ人−ある牧師の平和行脚
NHKブックス258
谷本清氏は,日本基督教団広島流川教会牧師.1909年生まれ.
アメリカとの関係の深い教会関係者であるから,といってしまえばそれまでだろうが,著者は,アメリカで原爆についての多くの講話を行い,それを通じてアメリカ人からの多くの励まし,献金を受け,それを広島にもたらした.平和誓願運動が政府(もしくはアメリカ)によっれ潰される様子などもわかる.
著者は,同時に被爆者でもある.現場での声がここにはある.例えば,原爆を「持っていたら日本も使ったかもしれない」という声.この声は,だからアメリカを恨む故はないと続く.この帰結だけをみてを,日本人らしい「仕方がない」で括るわけにはいかない.原爆は天災でないことを彼らは正しく知っていたのだ.だからこそ,そういうしかなかったのだ.あれは戦争の中にあった.
だから,彼ら,原爆を実際に使用され,そうして悪夢以上の悲惨さを見た彼らにそれを言うことはできなかった.彼らは,事情が異なれば,使用者になっていたかもしれぬということがわかりすぎるぐらいにわかっていた(今となればそれが現実味に乏しくとも).彼らはそうした時に生きていた.己に跳ね返る悪の幻像をも引き受けつつ,悲惨さを体験する.一方的に被害者であったわけではない.そんなことはできようはずもない.跳ね返る悪の幻像がそれを許さない.被爆者は身も心もがんじがらめだ.
1977
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「核」と現代の国際政治
今井 隆吉
日本国際問題研究所 \780
**出版年?
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死の内の生命
ロバート・J・リフトン
朝日新聞社
広島の生存者の心理学的な面接調査と分析の記録.リフトンは,1995年の『アメリカの中のヒロシマ』で現在は有名なようだが,ヒロシマに関する最初の仕事はもっともっと古く,この『死の内の生命』は大江健三郎の文章の中によくでてくる.ニューヨーク市立大学教授.精神医学が専門のようだが,歴史心理学者という肩書きが付されていることも多い.また,思考操作,洗脳の権威でもあるようだ.日本との関係では,他に,加藤周一らとの著作もある(『日本人の生死観』岩波文庫,
1977).
Death in Life: Survivors of Hiroshima Paperback,594pp. ペーパーバックの発行は1991年.
原本は1968年.