5月のインドの核実験に関してのインド人小説家のリポート.核兵器が正当化される雰囲気,背景が理解できる.抑圧されていると感じる国民にとって,軍事的優位性,なかでも核兵器は,当面誰にも文句は言わせないという意味で,究極の国威発揚の道具立てなのかもしれない.(要点のみ訳出してあります)
The Nation, Sept. 28, 1998
The End of Imagination (The Bomb and Me): Arundhati Roy
98年5月の核実験によって,インドは改めて核保有国の仲間であることを示した.核大国の仲間になるということは,著者によれば,西洋の悪しきことども(植民地主義,アパルトハイト,奴隷主義等々)と,それを是認しつつ発展する偽善者の仲間入りをすることでもある.インドはそれをしつつ,かつ,もはや取り除けないほどの西洋由来のものに囲まれている.インド人は英語をしゃべり,民主主義を否定してはいない.しかし,同時に,インドの独自性を打ち出すことへの熱狂的な情熱が民衆の間には強い.西洋文明を否定しようとする情熱は,コカコーラを捨てて快哉をあげる.しかし,この展開はおかしな結論を出すだけである.コカコーラが西洋文明の象徴であるにせよ,核兵器はではなんなのだ?
独自性への情熱の前には,しかし,核実験も,「プライドの時」「自尊心の爆発」「再生への道」といったスローガンに飲まれてしまう.核実験に反対することは,反インドであり,反ヒンズーとみなされる.パキスタンとの確執は,諸々の事情があるにせよ,ヒンズー対ムスリムであり,核保有という事態は,世界的にみれば核兵器保有国であることを誇示しただけだが,地域的にみれば,ムスリム社会への力の誇示である.であれば,これへの反対は,反ヒンズーへと結びつけられてしまう.反ムスリム,反西洋が,核保有を正当化させてしまう.
著者はしかし,核兵器はパキスタンとの問題も,中国との問題も,何も解決できないという.なぜなら,我々は空を共有し,水を共有しているのだから.
著者の主張では,核爆弾は,これまで人間が作ったこともないほどの明らかな悪であり,最も反民主主義的であり,反国家的,反人間的である.ここには,敵も味方もない.生き伸びた私にもまた,それまでの空,それまでの水を失う.核兵器がもたらした,良きものは,ただ一つ,人類平等主義かもしれないともいう.
この視点は,「抑止」という考え方の欠点でもある.抑止は,「あなたを抑えるものは,彼らをも抑える」を前提している.しかし,抑えられない人々のことは考えてはいない.例えば,「あなたを殺して私も死ぬ」という自爆の心理を想定していないと著者はいう.
また,「抑止」のもう一つの欠点として,著者は,「抑止」は,無知で読み書きのできない人々には効かないことをあげている.なぜなら,「抑止」は核兵器の恐ろしさが前提され,それは知識によるからだという.であれあば,文盲の人々にそれを得るのは難しい.インドは,4億人以上の文盲の人々で成り立っている.
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アルンダティ・ロイ:小説「小さきものたちの神」(The God of Small Things)の著者.
*ネイションに掲載されたエッセイは,元々もっと長いもので,それは7月27日付けのインドの雑誌に掲載されているらしい.